自脱型コンバインは、水稲の刈り入れ・脱穀に使う農具および農機を発展させる形で開発が進められた。
刈り取りには、当初は鎌を使った手刈り、その後は作物を後方に刈り倒してゆく歩行型動力刈取機や、間欠式刈取結束機(刈取・移動、結束を交互に行う機械)などが使われた。
脱穀には、江戸時代に発明された千歯扱きが明治時代までに全国に普及し、また1910年(明治43年)に足踏式回転脱穀機が発明されると、それが普及していった。また、選別機には手回し式の唐箕(とうみ、風を送り選別する機械)が開発されて普及した。なお、足踏式回転脱穀機および唐箕の原理は、後に開発される動力脱穀機、さらにコンバインへと採り入れられることとなる。
米国やソビエト連邦(当時)などの大規模農場で普及したコンバイン(これら諸国で一般に使われている一体型のコンバインは普通型などと呼ばれる)は、日本では1962年(昭和37年)から政府が推進した農業構造改善事業の一環として導入されたが、大型の普通型コンバインは日本の比較的狭い農地では使いづらいものであった。特に水稲においては、圃場が大規模であっても、収穫時の籾の損傷が大きい点、穀粒損失が多い点から、普通型コンバインを用いることは困難であるとされた。
一方で、1966年(昭和41年)に井関農機が開発した「自脱型コンバイン(フロンティアHD50)」(自動脱穀機に刈取機を組み合わせたコンバイン)の登場を皮切に、国産農機メーカーが自脱型コンバインを相次いで発表、普及してゆく。
自脱型コンバインは、刈り取った穀桿(穀物の茎と茎から上の部分)の、穂先部分だけを脱穀装置にかけて脱穀(穀物の実の部分だけを取り出す)する。普通型コンバインは、刈り取った穀桿のすべてを機械内部で脱穀する。
このため、自脱型コンバインは普通型コンバインに比べて、水稲収穫時には籾の損傷が少なく、穀粒損失も少ないのであるが、麦類収穫ではあまり差がない。自脱型コンバインの別称として、軸流式、穂先供給式、単コンバイン、ジャパニーズ・コンバインなどの呼称がある[3]。
なお、初期の自脱型コンバインは側面刈りであった。これは刈取機が側面に付いているため、コンバインを使い始める前に、コンバインが走行できるだけの幅を手刈りする必要があった。その後、狭い耕地の多い日本の事情に合わせて機体の前面に刈取り部を備えた自脱式コンバインが開発され、圃場の広さや向きにかかわらず刈り取りができるようになると、急速に普及し、1990年(平成2年)時点で日本の水稲作付け面積の約 76% で使われている。
また、1970年(昭和45年)頃より始まった減反政策により、水稲から大豆・小麦・ソバ等への転作が増え、それら多種類に対応可能な汎用型コンバインも開発され、利用されている。
参照元:Wikipedia「自脱型コンバイン」
[PR]夏向けのメンズコーディネート
参照元:Wikipedia「自脱型コンバイン」
[PR]夏向けのメンズコーディネート
PR
この記事にコメントする
△ 自脱型コンバインの仕組み - 走行部 * HOME *
- ABOUT
自脱型コンバインの説明。自脱型コンバインの各部の仕組みや歴史などについて。
- 最新記事
(06/15)
(06/15)
(06/15)
(06/15)
(06/15)
- P R